宮崎県宮崎市川南町の川南病院様

登録日:2012年12月5日

“トロントロン”。
 まるでスタジオ・ジブリのアニメにでも出てきそうな、不思議な響き。しかし川南病院の福重主任は、真顔で紹介してくださった。
「この町の商店街周辺の地名は、そう呼ばれています」
 由来の一説は、西南戦争の時代にさかのぼる。敗走する西郷隆盛軍がこの町に立ち寄ったとき、湧水の音が「トロントロン」と聞こえたのだという。これ以外にも「ぬかるんだ道の状態を表現した。」など、いくつかの説があるそうだが、背景にはこの地域の地名に関する独特の習慣がある。
「新しい土地に三世帯が集まると、その地区に好きな名称をつけられるんですよ。確か、今でもそうだと思います。」
 信じがたい話だが、この町には“銀座”“赤坂”“六本木”といった、東京の名だたる歓楽街を冠した地名もある。首都からは遠く離れたこの町で、実にユニークである。

 日向灘に面した宮崎県川南(かわみなみ)町は、人口約17,000人。「日本三大開拓地」の一つとして、戦後日本各地からの農業移住者を受け入れ、移民の国アメリカ合衆国に模して“川南合衆国”とも称された。
「ここには日本中からの移住者が多く、出身地を聞けば47都道府県すべての名前が出てくると思いますよ。」

 
開拓地という土地柄なのか、新しい人をすぐに受け入れてくれる、友好的でどこかのんびりとした雰囲気。そして、温暖な気候。おおらかな地名の話も、何となくうなずける気がする。

  茶畑(川南町の特産品)

 福重さんが主任を務める川南病院は、1979年に開院し、1995年12月に徳洲会グループ32番目の病院となった。2008年1月に新築され、待望の透析センターが新設された。同時にCT、MRIなど最新鋭の医療機器も導入。救急患者の受け入れもしているが、脳神経、心臓血管などの患者が運ばれてきたときは、専門的な外科医がいないため、宮崎市内の病院へ搬送するそうだ。宮崎市内にある宮崎大学病院にはドクターヘリも配備されている。川南病院の周辺にはヘリポートの代わりになる公園もあるが、実際にはまだ利用したことはないそうだ。
 通院患者は高齢者も多いため、病院では独自の送迎サービスも行っている。一日に30名ほどの透析患者のほか、リハビリ通院患者を含めると、月に1,300件もの利用があるそうだ。町営バスも病院前には停車するものの、自宅まで送ってもらえるほうが高齢者やその家族にとっては安心だろう。まさに地域密着の病院だということがうかがえる。

川南病院 外観 明るいドア 検査室 無料のお茶 待合室

 川南町の伊倉浜に押し寄せる波は、サーファーにはたまらないものがあるらしい。九州各地からサーファーが訪れることで有名な伊倉浜だが、同病院の医師やリハビリ職員の中にも、ここの波に魅せられてしまう人が少なくないという。
「サーフィンを楽しんだ後に出勤する医師もいるぐらいですよ。」福重さんが笑顔で教えてくださった。
 病院内には、保育室がある。近い将来には幼児室も作られ、そこで育った子どもたちのための奨学金制度も考えられているという。子どもを安心して預けられ、将来にわたって地元で働くことができる環境。うらやましいほど働きやすい職場である。とくに、同病院へ応援で来ている女性職員からの人気は高く、「またここで働きたい」という声が多いという。実際に、応援にもかかわらず何度も希望してくる職員もいるそうだ。働きやすい職場環境に加えて、気候が温暖で、美味しいものも多いとなれば、この町に惹き付けられるのも無理はないだろう。

 同病院で導入された弊社システムは、PACS(ShadeQuest/Serv)、Report(ShadeQuest/Report)及び検像(ShadeQuest/KENZO)構成となっており、横河医療ソリューションズ(株)のパッケージを核にIntegrate-Q(中小規模のお客様向けの運用に最適化)のシステム構築を行った。運用開始は2012年1月1日、つまり元旦。システム稼働から現在まで、トラブルもなく安定しているという。稼働開始が元旦だったという事で、弊社エンジニアにとっても特に思い入れのある病院のようだ。福重さんが笑いながら話してくれた。
「何かあればいつでも連絡できるのに、本当に何の問題もないので、連絡する事もないんですよね。」
 同システムを導入した事により、完全フィルムレス化が実現。フィルムの出庫管理がなくなり、フィルムを持って歩き回る事もなくなったという。作業効率が上がったうえ、コストも減り「フィルム管理庫を整理できて、読影室を作ることができたんですよ!」と嬉しいお言葉をいただいた。病院内のシステム全般を担当されている神宮さんは、各部署からのいろいろな問い合わせに対応されている。「パソコンが立ち上がらない」など、初歩的な質問もあるようだが、忙しい日々の癒しは、やはり趣味のサーフィンではないだろうか。
 
弊社担当者と病院スタッフの笑顔の雑談を見ていると、これからも末永くお付き合いいただけるよう努力を続けねばならないと感じた。

福重主任 空になったカルテのファイル

 川南町そのものの知名度は決して高くはないが、2010年に発生した“口蹄疫”と言われれば、ほとんどの人がピンとくるのではないだろうか。川南町の隣町、都農(つの)町で第一例が確認されると、口蹄疫は次々に周辺へと広がっていった。川南町では16万7千頭もの牛や豚が殺処分。川南病院の周辺でも家畜が殺処分され、農地が埋却地となった。野菜や飼料を育てていた優良農地だが、埋却地になると2年間は作物が植えられない。来春にはようやく解禁されるものの、農地としての復旧には莫大な費用がかかるという。
 畜産を中心に、日本有数の農業生産地であったこの町が被った損害は、想像を絶する。そして影響は、町民の健康へも及んだという。
「口蹄疫の直後から、来院する患者の数が明らかに増えました。騒動で気が張っていた分、仕事がなくなって家にいると体調だけでなく、精神的にも参ってしまった人が多いように感じました。」
 一方で2012年10月、“和牛のオリンピック”とも呼ばれる「全国和牛能力共進会」で、宮崎牛は9部門中5部門を制して総合優勝。内閣総理大臣賞に加えて団体賞も獲得した。口蹄疫からわずか2年での“日本一”は、苦難を乗り越えた畜産農家の努力の賜物にちがいない。
 また、「泉谷しげる」らミュージシャンによる復興ライブも毎年開催されている。全国的にはあっという間に薄れていく記憶の一方で、地元ではこのようなイベントによる息の長い支援も続けられている。
 
今回いろいろなお話をうかがったことで、わたし自身、川南町周辺の農産物を見かけたら購入してみたいと思うようになった。ただし、宮崎牛は高くてなかなか手が届かないかもしれないが。

病院周辺の埋却地

 宮崎の芋焼酎といえば、霧島酒造が有名だ。定番の“霧島”のほかにも“黒”“赤”“ゴールド”と、作る芋の種類によってグレードが分けられている。今回初めて聞いた話だが、宮崎県外に出荷される“霧島”はアルコール度数が25度なのに、県内で販売されるものは20度なのだという。宮崎ではロックで飲む事が多いので、ぐいぐい飲めるように度数が低めになった、という説もあるらしい。さっそく夕食で“霧島”をいただいてみると、メニューには確かに20度と記載されている。もともとロック派の私だが、いつもより度数が低いので、ついついお代わりが進んでしまう。
「飲みやすいから、飲み過ぎないように気をつけてくださいね!」
 福重さんのご忠告の意味を、身をもって体験してしまった。

地鶏の炭火焼き

 川南町には、国の天然記念物に指定された川南湿原もあり、希少なトンボをはじめ多くの湿生植物を見ることができる。温暖な気候に、サーファー垂涎の波。美味しい食べものに美味しい焼酎もある。そして何より、よそ者を優しく迎え入れてくれる人々。口蹄疫からの完全復興にはまだ時間がかかるのかもしれないが、日本三大開拓地・川南町のフロンティア精神で、一日も早く活気ある町が戻ってくる事を願わずにはいられない。

<福岡営業所 高橋理恵 取材日:2012年12月5日>